2024年10月04日

還暦になりました

2024102日をもって還暦になりました。


人生には、その人ごとの周期があるとも言いますが、振り返ると私の場合は大体7年周期で切り替わりのイベントがあったように思います。

以下、その区切りを意識してfacebookに上げた経歴の増補版を。


1988

京都から上京。住んだマンションの近くに宇宙船創刊メンバーの聖咲奇さんがおられて、前年にバイト先で弟さんと知り合ったご縁もあり、出入りするようになりました。アジア太平洋博の仕事を振っていただいたり、趣味のCGデータ作りを手伝ったり。さらにご友人のスミヤ氏とも繋がって、そこから後に川北監督にも繋がります。

11月には月刊少年マガジンから『土偶ファミリー』で漫画家デビュー。翌年には『ゴジラVSビオランテ』に呼ばれ、そこから毎年ゴジラVSシリーズに参加することになります。この2本柱の時期が続きます。


1995

『ゴジラVSデストロイア』でゴジラVSシリーズが終了、一方で8月にNHKから連絡があり、プロデューサーが『土偶ファミリー』のファンだということで、オリジナルアニメの原案作成を依頼されます。これが『YAT安心!宇宙旅行』となって翌年から放送開始、またコミカライズも自分が手掛けることになり、2年間で単行本12冊というハードスケジュールに追われることになります。

その終了と入れ替わるように「マガジンGREAT』で『ゴジラ狂時代』が開始、また『ゴジラ2000ミレニアム』でゴジラのデザインと絵コンテを手掛けることになり、ゴジラへの関わり方がより深くなっていきます。


2002

今でも人気の「3式機龍」を生み出した年。また年末から『超星神グランセイザー』の企画に参加。コミカライズも描くことになります。3年間の『超星神シリーズ』を始め、『Kawaii! ジェニー』や形にならなかった企画など、川北監督の「ドリーム・プラネット・ジャパン」の仕事を多く手がけた時期です。『ねんどの神様』『爆乳戦隊パイレンジャー』なども、そのスタッフからの流れで来た仕事です。

また絵コンテの仕事が急増した時期でもあり、特撮以外にも一般映画、CGアニメ、ゲームなど様々なジャンルの絵コンテも描きました。


2009

ここは仕事の面では区切りとしては曖昧です。2年前から連載した『大怪獣バトルウルトラアドベンチャー』が2010年まで、この作品で縁ができた円谷プロ作品の絵コンテもやるようになります。表に出ないですが遊技機の仕事も多かったですね。

むしろこの年は、むらかわみちおさんの宇宙戦艦ヤマト本に参加したのをきっかけに、同人活動に復帰したのが大きいかもしれません。YAT本を作るために難波監督らYATのスタッフ&キャストに声を掛け、交流が復活しました。


2016

2年前のレジェンダリーの『GODZILLA』で息を吹き返したゴジラの盛り上がりが、『シン・ゴジラ』で決定的になった年、私も初の個展『呉爾羅百態』を開催、モビーディックさんの助力で以来イベントが定例となりました。「生頼ポスター版超合金メカゴジラ」からのバンダイさんの商品、MDAなど立体ホビー方面、また海外のイベントへの参加も大きいです。

SSSS.GRIDMAN』を始め、『妖怪人間ベラ』『ガンディーン』『神の筆』など、ゴジラを離れて多方面から怪獣デザインを依頼されるようになったのもキャリアというものなのかと。


2023

さて、それでいくと昨年に次の節目があったことになるのですが……

そう考えるとグリッドマンが映画で一区切り、『ゴジラ大解剖図鑑』発行、『YAT安心!宇宙旅行』のアニメ&コミックスの配信といった、過去の総括的な展開と、東宝さんやバンダイさんからの直の仕事が急増して、イラスト、デザイン、監修など「ゴジラ公式の人」感が強まった印象はあります。マクドナルドロボなんてのもありましたし。


という感じで半生を振り返ってみましたが、真っ当に生きてる人には全く参考にならなかったと思いますが、ここまで読んでくれた人はいるんでしょうか(笑)。

還暦からは第2の人生と言いますし、また何か大きく舵を切れたらいいなあと思ってます。これまでの活動はいずれも「求められて受けた仕事」という感じなので、自分発の活動も増やしていきたいですね。お付き合いいただける方は引き続きよろしくお願い致します。

posted by MASH at 17:48| Comment(0) | 日記

還暦になりました


2024102日をもって還暦になりました。


人生には、その人ごとの周期があるとも言いますが、振り返ると私の場合は大体7年周期で切り替わりのイベントがあったように思います。

以下、その区切りを意識してfacebookに上げた経歴の増補版を。


1988

京都から上京。住んだマンションの近くに宇宙船創刊メンバーの聖咲奇さんがおられて、前年にバイト先で弟さんと知り合ったご縁もあり、出入りするようになりました。アジア太平洋博の仕事を振っていただいたり、趣味のCGデータ作りを手伝ったり。さらにご友人のスミヤ氏とも繋がって、そこから後に川北監督にも繋がります。

11月には月刊少年マガジンから『土偶ファミリー』で漫画家デビュー。翌年には『ゴジラVSビオランテ』に呼ばれ、そこから毎年ゴジラVSシリーズに参加することになります。この2本柱の時期が続きます。


1995

『ゴジラVSデストロイア』でゴジラVSシリーズが終了、一方で8月にNHKから連絡があり、プロデューサーが『土偶ファミリー』のファンだということで、オリジナルアニメの原案作成を依頼されます。これが『YAT安心!宇宙旅行』となって翌年から放送開始、またコミカライズも自分が手掛けることになり、2年間で単行本12冊というハードスケジュールに追われることになります。

その終了と入れ替わるように「マガジンGREAT』で『ゴジラ狂時代』が開始、また『ゴジラ2000ミレニアム』でゴジラのデザインと絵コンテを手掛けることになり、ゴジラへの関わり方がより深くなっていきます。


2002

今でも人気の「3式機龍」を生み出した年。また年末から『超星神グランセイザー』の企画に参加。コミカライズも描くことになります。3年間の『超星神シリーズ』を始め、『Kawaii! ジェニー』や形にならなかった企画など、川北監督の「ドリーム・プラネット・ジャパン」の仕事を多く手がけた時期です。『ねんどの神様』『爆乳戦隊パイレンジャー』なども、そのスタッフからの流れで来た仕事です。

また絵コンテの仕事が急増した時期でもあり、特撮以外にも一般映画、CGアニメ、ゲームなど様々なジャンルの絵コンテも描きました。


2009

ここは仕事の面では区切りとしては曖昧です。2年前から連載した『大怪獣バトルウルトラアドベンチャー』が2010年まで、この作品で縁ができた円谷プロ作品の絵コンテもやるようになります。表に出ないですが遊技機の仕事も多かったですね。

むしろこの年は、むらかわみちおさんの宇宙戦艦ヤマト本に参加したのをきっかけに、同人活動に復帰したのが大きいかもしれません。YAT本を作るために難波監督らYATのスタッフ&キャストに声を掛け、交流が復活しました。


2016

2年前のレジェンダリーの『GODZILLA』で息を吹き返したゴジラの盛り上がりが、『シン・ゴジラ』で決定的になった年、私も初の個展『呉爾羅百態』を開催、モビーディックさんの助力で以来イベントが定例となりました。「生頼ポスター版超合金メカゴジラ」からのバンダイさんの商品、MDAなど立体ホビー方面、また海外のイベントへの参加も大きいです。

SSSS.GRIDMAN』を始め、『妖怪人間ベラ』『ガンディーン』『神の筆』など、ゴジラを離れて多方面から怪獣デザインを依頼されるようになったのもキャリアというものなのかと。


2023

さて、それでいくと昨年に次の節目があったことになるのですが……

そう考えるとグリッドマンが映画で一区切り、『ゴジラ大解剖図鑑』発行、『YAT安心!宇宙旅行』のアニメ&コミックスの配信といった、過去の総括的な展開と、東宝さんやバンダイさんからの直の仕事が急増して、イラスト、デザイン、監修など「ゴジラ公式の人」感が強まった印象はあります。マクドナルドロボなんてのもありましたし。


という感じで半生を振り返ってみましたが、真っ当に生きてる人には全く参考にならなかったと思いますが、ここまで読んでくれた人はいるんでしょうか(笑)。

還暦からは第2の人生と言いますし、また何か大きく舵を切れたらいいなあと思ってます。これまでの活動はいずれも「求められて受けた仕事」という感じなので、自分発の活動も増やしていきたいですね。お付き合いいただける方は引き続きよろしくお願い致します。

posted by MASH at 17:48| Comment(0) | 日記

2024年01月27日

『YAT安心!宇宙旅行』の原案とコミカライズ

Twitter(X)で原作改変が話題になってるようです。当該の事案についてはよく調べてないので直接の言及はしませんが、『YAT安心!宇宙旅行』の配信が始まったこともあり、『YAT』における私の立ち位置について述べてみようと思います。

私の『YAT』における肩書は「原案」です。「原作」というのはメディアを問わず「作品」として完成されたものが先に存在するということなので、『YAT』の場合は先にアニメとしての企画があり、キャラクターや設定のベースとなるアイデアを依頼されたという形なため、「原作」ではなく「原案」なのです。

ただ私の場合は同時にコミカライズも手がけたため「漫画原作」と混同されがちです。まあやってることは『仮面ライダー』における石ノ森章太郎先生や『マジンガーZ』における永井豪先生と同じような感じなので、時代が違えば「原作」とされていたかもしれません。一番近いのは『宇宙戦艦ヤマト』における松本零士先生の立ち位置かな?ただ『YAT』はコピーライトマーク️に私の名前も入ってるので少し原作者に近いです。いくつかのエピソードのプロットを書いたり、毎週の脚本&絵コンテの打ち合わせにも出ていました。

でもアニメの『YAT』が誰の作品か、といえば、私は一番には難波日登志監督だと思っています。シリーズ構成の林民夫さんの力も大きいです。工藤裕加さんのキャラデザも魅力的で私の方も大いに影響を受けました。皆さんあまりに優秀なので、毎週の打ち合わせでも私のやることといえば、ちょっとした追加や修正、ほとんどは単なる確認作業だったという印象です。まあ本当はもっと関わるはずがコミカライズ作業が大変すぎたというのも大きいですが。

だから私はアニメでは「原案」ですが、コミカライズは「原作改変」であると言えるでしょう。ストーリー混成もかなり変えています。ただメディアが違えば表現の最適解も変わってきます。原作がそのメディアの特性を活かしているほど、違うメディアでは変わるのが当然、逆にそのことが原作の完成度の高さの証明でもあるとも言えます。とは言え、原作をリスペクトしているなら守るべきところはあります。作品の根幹のテーマとかキャラクター性などですね。

また、アニメやドラマが原作となるコミカライズの場合は、同じ期間で描ける長さ(話数)がかなり短いので、変わらざるを得ない部分があります。逆に漫画原作の場合は映像作品でフルに描ける場合が多いので、原作準拠を求められる度合いは大きいというのはあるでしょう。

いずれにせよ、言い古されたことですが大事なのはリスペクトなんでしょうね。『YAT』では原案、アニメ双方にそれがあったと私は思っています。もちろん拘りやそこからくる衝突も必要な局面はあるでしょうが、作品を良いものにするのに寄与しない理不尽ないざこざは無いに越したことはありませんよね。まあ私は個人なので気楽と言えばそれまでですが。
posted by MASH at 15:15| Comment(0) | YAT安心!宇宙旅行