2016年08月28日

「シン・ゴジラ」考(1) 「シン・ゴジラ」と「メカゴジラの逆襲」

さて、「シン・ゴジラ」公開から1ヶ月が過ぎ、私もそろそろ自分なりの考察遊びを提示してみたいと思う。(以下、ネタバレあり)


怪獣好きとしては、あの先の展開としてゴジラの怪獣的により強化された第5形態、第6形態を想像して楽しんでしまうのだが、「シン・ゴジラ」のラストシーン、あの尻尾の先端の状態は、ゴジラの次なる進化が劇中で予想された通り、群体化であり、また人間に近い形態は、牧・元教授が何らかの形で取り込まれていたのが発現したと捉えるのが妥当だろう(第4形態の直立した姿勢、人間のような目や手も、すでに人間の遺伝子が発言している証左とみていい)。
そうなると、ゴジラに対して打つべき次の手は、意図的な遺伝子注入によるゴジラの進化の方向性のコントロールかもしれない。とは言え、ゴジラはすでに人間の8倍もの遺伝情報を持っている。遺伝子は古い遺伝子を残したまま、より新しく複雑な遺伝子が上書きして発現するものなので、例えば、アメーバのような原始的な生物の遺伝子を加えたからといって、それが発現してアメーバのような形に進化(退化)するとは考えにくい。……まあこれは寄り道。

「シン・ゴジラ」に置いてゴジラは完全生物と言われているが、果たしてどの時点で完全生物だったのか?深海に潜んでいた時からだろうか?放射性物質を摂取した時からであろうか?それとも牧・元教授が何らかの手を加えた時であろうか?
牧・元教授が手を加えたことによって、ただの生物がゴジラとなったとする考え方は、ゴジラを1人の人間が作り出したと言うことで、ゴジラの矮小化につながると考える向きもあると思うが、牧・元教授は岡本喜八監督の姿を与えられている。庵野監督にとって岡本喜八監督は、自らが生きる映画と言う世界での、自らの有り様、生み出す作品の形の規範となった、いわば神であり、「シン・ゴジラ」の世界における神(を生み出した神)と言う位置付けを与えたと言うのもありえなくはないと思える。

もし牧・元教授がゴジラを科学的に生み出したとすると、連想されるのはビオランテを生み出した白神博士である。そしてビオランテには博士の死んだ娘の遺伝子が組み込まれていた。「シン・ゴジラ」についての考察の中には、ゴジラに牧・元教授の死んだ妻も入っている(あるいは妻そのものが元になっている)というのもあるようで、私はそれは否定する考えだったが、次のことに気づいてそれもあり得るかもしれないと思えてきた。

なぜ「シン・ゴジラ』で流用されている「ゴジラのテーマ」は「メカゴジラの逆襲」版なのだろうか。最初は単純に、庵野監督が基本的に昭和ゴジラまでにしか興味がなく、その中で重厚なアレンジのものを選んだと考えていたのだが、もしかすると作品のテーマとしての繋がりを意図したものではないだろうか(エンドロールでは平成の「ゴジラVSメカゴジラ」のテーマも使っているし)。

「メカゴジラの逆襲」における真船博士は、牧・元教授と共通する部分が多い。
「海底に生息している古代生物を研究していて学会を追われ」
「妻を亡くしたことで世の中を恨み」
「(妻ではないが)死んだ娘を生き返らせたが、それはすでに人間ではなく、(メカ)ゴジラと一体の存在になる」
(この「妻と娘の同一化」はエヴァの碇ゲンドウにも通じる。)

こう考えていくと、牧・元教授の「私は好きにした」は、ゴジラという完全生物の中で、妻と一体化することだったと考えることもできるのではないだろうか。そしてゴジラの尻尾から生まれようとしているのは、人間の男女を取り込んだことによって有性生殖を身につけたゴジラの、そして牧・元教授と妻の子供達なのかもしれない。

……書いていて、かなり飛躍している気もしてきたが、あながちなくもないような気がする。いかがだろうか?
posted by MASH at 21:59| Comment(0) | ゴジラ