2024年10月2日をもって還暦になりました。
人生には、その人ごとの周期があるとも言いますが、振り返ると私の場合は大体7年周期で切り替わりのイベントがあったように思います。
以下、その区切りを意識してfacebookに上げた経歴の増補版を。
1988年
京都から上京。住んだマンションの近くに宇宙船創刊メンバーの聖咲奇さんがおられて、前年にバイト先で弟さんと知り合ったご縁もあり、出入りするようになりました。アジア太平洋博の仕事を振っていただいたり、趣味のCGデータ作りを手伝ったり。さらにご友人のスミヤ氏とも繋がって、そこから後に川北監督にも繋がります。
11月には月刊少年マガジンから『土偶ファミリー』で漫画家デビュー。翌年には『ゴジラVSビオランテ』に呼ばれ、そこから毎年ゴジラVSシリーズに参加することになります。この2本柱の時期が続きます。
1995年
『ゴジラVSデストロイア』でゴジラVSシリーズが終了、一方で8月にNHKから連絡があり、プロデューサーが『土偶ファミリー』のファンだということで、オリジナルアニメの原案作成を依頼されます。これが『YAT安心!宇宙旅行』となって翌年から放送開始、またコミカライズも自分が手掛けることになり、2年間で単行本12冊というハードスケジュールに追われることになります。
その終了と入れ替わるように「マガジンGREAT』で『ゴジラ狂時代』が開始、また『ゴジラ2000ミレニアム』でゴジラのデザインと絵コンテを手掛けることになり、ゴジラへの関わり方がより深くなっていきます。
2002年
今でも人気の「3式機龍」を生み出した年。また年末から『超星神グランセイザー』の企画に参加。コミカライズも描くことになります。3年間の『超星神シリーズ』を始め、『Kawaii! ジェニー』や形にならなかった企画など、川北監督の「ドリーム・プラネット・ジャパン」の仕事を多く手がけた時期です。『ねんどの神様』『爆乳戦隊パイレンジャー』なども、そのスタッフからの流れで来た仕事です。
また絵コンテの仕事が急増した時期でもあり、特撮以外にも一般映画、CGアニメ、ゲームなど様々なジャンルの絵コンテも描きました。
2009年
ここは仕事の面では区切りとしては曖昧です。2年前から連載した『大怪獣バトルウルトラアドベンチャー』が2010年まで、この作品で縁ができた円谷プロ作品の絵コンテもやるようになります。表に出ないですが遊技機の仕事も多かったですね。
むしろこの年は、むらかわみちおさんの宇宙戦艦ヤマト本に参加したのをきっかけに、同人活動に復帰したのが大きいかもしれません。YAT本を作るために難波監督らYATのスタッフ&キャストに声を掛け、交流が復活しました。
2016年
2年前のレジェンダリーの『GODZILLA』で息を吹き返したゴジラの盛り上がりが、『シン・ゴジラ』で決定的になった年、私も初の個展『呉爾羅百態』を開催、モビーディックさんの助力で以来イベントが定例となりました。「生頼ポスター版超合金メカゴジラ」からのバンダイさんの商品、MDAなど立体ホビー方面、また海外のイベントへの参加も大きいです。
『SSSS.GRIDMAN』を始め、『妖怪人間ベラ』『ガンディーン』『神の筆』など、ゴジラを離れて多方面から怪獣デザインを依頼されるようになったのもキャリアというものなのかと。
2023年
さて、それでいくと昨年に次の節目があったことになるのですが……。
そう考えるとグリッドマンが映画で一区切り、『ゴジラ大解剖図鑑』発行、『YAT安心!宇宙旅行』のアニメ&コミックスの配信といった、過去の総括的な展開と、東宝さんやバンダイさんからの直の仕事が急増して、イラスト、デザイン、監修など「ゴジラ公式の人」感が強まった印象はあります。マクドナルドロボなんてのもありましたし。
という感じで半生を振り返ってみましたが、真っ当に生きてる人には全く参考にならなかったと思いますが、ここまで読んでくれた人はいるんでしょうか(笑)。
還暦からは第2の人生と言いますし、また何か大きく舵を切れたらいいなあと思ってます。これまでの活動はいずれも「求められて受けた仕事」という感じなので、自分発の活動も増やしていきたいですね。お付き合いいただける方は引き続きよろしくお願い致します。