2018年09月15日

一ファンの戯言としてのアニゴジ第3章予想

<はじめに>

私はアニゴジ第3章について、公式に発表された以上の情報を何ら持っておらず、したがってここに書いたことも全て個人的な想像に過ぎませんが、それなりに論理立てて推論しているつもりなので、もしかしたら当たっている部分もあるかもしれません。そういうのも「ネタバレ的なもの」として嫌う向きは、この先は読まずにお戻りください。









アニゴジ最終章の国際映画祭クロージング作品としての上映が発表され、わずかながら内容についても触れられた。その中に気になるワードが二つある。


『高次元怪獣』ギドラと

ハルオが目にする『未来』


である。


それだけの情報からツラツラと考えているうち、やたらと壮大なオレ予想が浮かんだので、まあ当たってるとも思わないが後の答え合わせの楽しみとして書き留めておこうと思った次第。


まず「ハルオが目にする『未来』」について。


そもそも物語の舞台となっている「2万年後の地球」は、ハルオにとっては未来の世界であり、単にそこでの物語の結末を指すのかもしれない。だが深読みすれば、「高次元怪獣」とは時間をも超えた存在であり、その戦いによってハルオが時間を超えて飛ばされ、さらなる未来の地球の姿を見る、という取り方もできる。


では「高次元怪獣」であるギドラの力はどのようなもので、何をもたらすのか。あるいは何を象徴する存在なのか。


宇宙における絶対的な破壊の力と言って一番に思い浮かぶのはブラックホールである。しかしブラックホールによる破滅はビルサルドが公言しており、エクシフが「口にすることもはばかられる」とするギドラは、それよりもさらに大きな事象を司っていると考えるべきであろう。


ブラックホールより大きな破壊の力とは何か?ある程度一般的な知識の中で探せば、それは「ビッグバン」ということになるのではないだろうか。ビッグバンは宇宙の生まれ変わりである。最終的に宇宙の生まれ変わりに至る物語といえば『伝説巨神イデオン』を連想する人は我々世代には少なくないだろう。


そう、「ギドラとはイデである」というのは的外れだろうか。そう考えると第2章までは、ゴジラがイデオンであり、メカゴジラシティーがガンドロワである、という見え方もしてくる。そうなるとアニゴジとは、イデとしてのゴジラを育て上げ、もうひとつのイデであるギドラにぶつける話とも思えてくる。


このように『イデオン』になぞらえて考えると、その他の様々な部分でも符合する点が見えてくる。地球人はそのまま地球人として、サムライ的な生き方を是とする軍事国家ビルサルドはバッフ・クラン、そしてギドラに滅ぼされた長身のエクシフは、第6文明人に相当しそうだ。


そうなると気になるのはエクシフとギドラの関係性である。イデに滅ぼされた第6文明人はまた、イデを生み出した存在でもあった。それはゴジラを生み出したのが地球文明であるとされるのと一見同義である。ゴジラをコントロール出来る・出来ないといったやりとりや、知的生命のあり方といった、アニゴジの物語中で語られる要素は、そのままイデオンと符合する。


だが、より精神性を重んじる宗教国家エクシフにおける怪獣ギドラは、そのあり方にもゴジラとは違いがあるかもしれないし、それが「高次元怪獣」の意味するところかもしれない。


第2章で引っかかる点の一つが「なぜメトフィエスはハルオにギドラの名を教えたか」である。一応「ゴジラに立ち向かうハルオには…」という説明はしているが、いかにも取ってつけたっぽい。そして「人前で口にしてはいけない」と釘を刺しているが、その実ハルオにギドラの名を出させることを目論んでいるようだ。


『イデオン』における第6文明人は、イデを生み出したと同時に、イデそのものでもある。エクシフの教義にある「宇宙知性との合一」は、まさに「第6文明人の意思の集合体であるイデ」と合致する。そう考えると、ギドラというのは宇宙のどこかを彷徨っているようなものではなく、実はエクシフたちが内包している、あるいは重なるように別次元に存在している、とは考えられないだろうか。「ギドラ」という名前が禁句なのは、それがガルビトリウムと相まってギドラを解放するキーワードだからではないだろうか。


ギドラとエクシフについては、このように精神的なリンクがあり得ると想像できるのだが、一方でゴジラは地球人とそのような関係性は持っていない。その点でゴジラはイデ的な存在では無いのだが、そこをつなぐ存在になるのがフツア=モスラというのはあり得そうだ。


ただ、「星を喰う者」というタイトルからすると、ギドラがそういうスケールであれば、対するゴジラも惑星スケールになるという可能性もある。「地球上の全生物がゴジラと同質化している」というのは、ゴジラと合体可能という考え方も出来るわけで、そもそもアニゴジは植物から進化したもの、つまり地球を覆っている植物も含めた全生物がゴジラと合体して、惑星サイズの超巨大ゴジラとなってギドラを迎え撃つということも、桁外れだがアニメなら出来そうだ。これもある意味、地球生命の意思の集合体と言えるのではないだろうか。


いずれにせよ、ゴジラとギドラの戦いがイデとイデの激突のようなものであるとしたら、その果てにあるのは宇宙の滅びと再生しかない。ハルオの見る未来とは数万年先どころではなく、生まれ変わった新たな宇宙、あるいは平行世界の宇宙(地球)かもしれない。


もしかしたらそこは、人類が怪獣に滅ぼされることなく幸せに暮らしている世界かもしれないし、さらには怪獣たちさえ共存している地球怪獣ランドのような世界かもしれない……というのは流石に作風的に無いと思うが、『イデオン的』あるいは『暗黒神話的』な壮大なスケールの結末が用意されていることを期待してしまうのである。


創作物に対し、安易に他作品と比較するのは礼を失することと理解しているが、ここは立場を離れた一ファンのお遊びとして容赦願いたい。


2018.09.13



<追記>

一通り書いたものの、ブログに上げずに寝かしてたら、ポスタービジュアルとあらすじが発表になった。


まあさわりしか書いてないんだけど、ユウコが生きてたというのが予想外。夏コミで出した『新世代ゴジラ伝説』では、ユウコが生きてるルートと死んでるルートの両方の予想を書いたけど、生きてるルートではユウコの脳がナノメタルをコントロールするという予想で、今回の情報ではユウコは脳死状態ということなので全く逆の大ハズレ。

でも声優さんの名前があるということは、復活してなんか喋るということだし、そうなると何者かの依り代になるのかな?まあ普通に考えればフツアか。あるいはフツアを介してモスラか。モスラにそこまでの知能があるのか?というのはあるけど、「卵は何も語らない」と言ってたし、それは逆に言えば「本当は語れるのに」ともとれる。「ユウコ=モスラ」なら、モスラの姿を出さずにモスラを絡められるよね、というのは邪推か(^^;)


いやぁ、楽しいねアニゴジ。


あ、XAIさん主題歌続投うれしい。

posted by MASH at 01:52| Comment(0) | ゴジラ

2016年08月28日

「シン・ゴジラ」考(1) 「シン・ゴジラ」と「メカゴジラの逆襲」

さて、「シン・ゴジラ」公開から1ヶ月が過ぎ、私もそろそろ自分なりの考察遊びを提示してみたいと思う。(以下、ネタバレあり)


怪獣好きとしては、あの先の展開としてゴジラの怪獣的により強化された第5形態、第6形態を想像して楽しんでしまうのだが、「シン・ゴジラ」のラストシーン、あの尻尾の先端の状態は、ゴジラの次なる進化が劇中で予想された通り、群体化であり、また人間に近い形態は、牧・元教授が何らかの形で取り込まれていたのが発現したと捉えるのが妥当だろう(第4形態の直立した姿勢、人間のような目や手も、すでに人間の遺伝子が発言している証左とみていい)。
そうなると、ゴジラに対して打つべき次の手は、意図的な遺伝子注入によるゴジラの進化の方向性のコントロールかもしれない。とは言え、ゴジラはすでに人間の8倍もの遺伝情報を持っている。遺伝子は古い遺伝子を残したまま、より新しく複雑な遺伝子が上書きして発現するものなので、例えば、アメーバのような原始的な生物の遺伝子を加えたからといって、それが発現してアメーバのような形に進化(退化)するとは考えにくい。……まあこれは寄り道。

「シン・ゴジラ」に置いてゴジラは完全生物と言われているが、果たしてどの時点で完全生物だったのか?深海に潜んでいた時からだろうか?放射性物質を摂取した時からであろうか?それとも牧・元教授が何らかの手を加えた時であろうか?
牧・元教授が手を加えたことによって、ただの生物がゴジラとなったとする考え方は、ゴジラを1人の人間が作り出したと言うことで、ゴジラの矮小化につながると考える向きもあると思うが、牧・元教授は岡本喜八監督の姿を与えられている。庵野監督にとって岡本喜八監督は、自らが生きる映画と言う世界での、自らの有り様、生み出す作品の形の規範となった、いわば神であり、「シン・ゴジラ」の世界における神(を生み出した神)と言う位置付けを与えたと言うのもありえなくはないと思える。

もし牧・元教授がゴジラを科学的に生み出したとすると、連想されるのはビオランテを生み出した白神博士である。そしてビオランテには博士の死んだ娘の遺伝子が組み込まれていた。「シン・ゴジラ」についての考察の中には、ゴジラに牧・元教授の死んだ妻も入っている(あるいは妻そのものが元になっている)というのもあるようで、私はそれは否定する考えだったが、次のことに気づいてそれもあり得るかもしれないと思えてきた。

なぜ「シン・ゴジラ』で流用されている「ゴジラのテーマ」は「メカゴジラの逆襲」版なのだろうか。最初は単純に、庵野監督が基本的に昭和ゴジラまでにしか興味がなく、その中で重厚なアレンジのものを選んだと考えていたのだが、もしかすると作品のテーマとしての繋がりを意図したものではないだろうか(エンドロールでは平成の「ゴジラVSメカゴジラ」のテーマも使っているし)。

「メカゴジラの逆襲」における真船博士は、牧・元教授と共通する部分が多い。
「海底に生息している古代生物を研究していて学会を追われ」
「妻を亡くしたことで世の中を恨み」
「(妻ではないが)死んだ娘を生き返らせたが、それはすでに人間ではなく、(メカ)ゴジラと一体の存在になる」
(この「妻と娘の同一化」はエヴァの碇ゲンドウにも通じる。)

こう考えていくと、牧・元教授の「私は好きにした」は、ゴジラという完全生物の中で、妻と一体化することだったと考えることもできるのではないだろうか。そしてゴジラの尻尾から生まれようとしているのは、人間の男女を取り込んだことによって有性生殖を身につけたゴジラの、そして牧・元教授と妻の子供達なのかもしれない。

……書いていて、かなり飛躍している気もしてきたが、あながちなくもないような気がする。いかがだろうか?
posted by MASH at 21:59| Comment(0) | ゴジラ

2016年07月30日

「シン・ゴジラ」について

「シン・ゴジラ」は、最初の「ゴジラ」は「あの時代だから作れた」で思考停止して、匹敵することを最初から放棄していた発想からは生まれようもない「この時代だから作れた」新たな原点である。

「ゴジラ('54)」以後に生まれた人間には望むべくもなかった「最初のゴジラをリアルタイムで観る衝撃」を現実のものにしてくれたのである。

それは「あの時代」に比肩する困難を再び「この時代」が現実とした抱えたということでもあるのだが、そのことをどれだけの日本人が認識しているかが最初のゴジラとの(動員の)違いとなって現れるのかもしれない。(初動は好調とのことで、まずは一安心)

「シン・ゴジラ」は、これまでのゴジラの継続と積み重ねの上にはない。それに寄らずとも、ここから始めて新たな世代の伝説のスタートと成り得る作品であり、それが出来たのは、第一には取りも直さず庵野秀明監督の才能あってのことだが、ゴジラがスターとしての地位を失い、一からやり直すしかないことを東宝が自覚していたということでもあるだろう。逆に言えば、死に体だったゴジラの奇跡の復活であり、庵野・樋口両監督には感謝と称賛の言葉しかない。

もしこの作品に不満がある人がいるとしたら、その「過去の積み重ね」で自分の中に作られたゴジラ像を絶対の価値として持っている人たちだろう。それはそれで幸せなことなので、新たな時代を遠くから見守ってほしい。

最後に、公開前に渡米した私は「シン・ゴジラ」をまだ試写でしか見ていない。それは多くのCGカットが未完成の状態のものであり、その部分を頭の中で最高の仕上がりとして補完した印象で語っている。しかしテーマやストーリー、演出は変わらないはずである。今はとにかく完成した映画を早く観たい。何度も観たい。
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2015年11月15日

Matt Frank 来日

前回のブログでも触れた通り、今月21日にはアメコミ怪獣王マット・フランク氏とサイン会を行いますが、それに先立って昨日、一足先に来日したマットに会ってきましたよ。

以前、私の誕生日にFacebookにアップしてくれた絵の原画を、その場でスケッチブックから切り抜いてプレゼントしてくれました。前に描いてくれた色紙もメカゴジラ聖衣(ビキニアーマー)の桂さんだったし、マットお気に入り?(笑)
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今日はビッグサイトの海外マンガフェスタにマットも参加してたので、会った人もいるかな?ナイスガイでしょ。

そういえば、来年は『YAT安心!宇宙旅行』放送開始20周年なのです。それで最近「ゴジ伝の桂さん(真船桂)」じゃなく、「YATの桂さん(天上院桂)」とゴジラのコラボ絵を描いたりしてます。何気にこれまで描いてなかったネタなのですね。
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あ、一応販売もしてますよ。>MASHBOX
posted by MASH at 20:37| Comment(0) | ゴジラ

2014年12月11日

川北監督

川北紘一特技監督が亡くなった。12月5日、希しくも監督の誕生日。

俺が連絡を受けたのは8日の夕方、東宝の新作ゴジラ制作の発表があったその日だった。公式発表を今日11日まで延ばしたのは、そのゴジラのニュースでの盛り上がりに水を差さないための配慮だったそうだ。
それならということで、俺もゴジラネタのツイートを連投したり、怪獣の絵を投下したりした。

川北監督に最後に会ったのは、11月24日の「伊福部昭百年紀コンサート Vol.3」の会場だった。そのコンサートには初めて家族全員で行った。妻や子供たちを川北監督に会わせられたのは「セイザーX」の撮影中に現場を訪問した時以来、」10年ぶりだろうか。その時はまだ小3だった長男は大学生、3歳だった三男も中学生だ。監督に子供達の成長した姿を見せられたのは嬉しかった。

家に帰ってから妻が言った「最初、川北監督だとわからなかった」と。
俺は度々会ってるせいか気づかなかったが、久しぶりに会った妻には随分弱って見えたらしい。

そのコンサート会場で、川北監督から「12月1日に、また大阪芸大の講師に来てくれないかな」と頼まれた。去年、川北監督の講義にゲスト講師として行った時の、生徒たちの評判が良かったんだと笑いながら話してくれた。一週間しかない上に、その時は仕事が詰まりまくってて、普通に考えたらとても講師などできないのだが、川北監督からの依頼は無条件に引き受けるというのが自分のスタンスだった。

そんな状況なので何日も仕事場に詰めていた28日の夜、いや29日かもしれない。時間がわからないくらい篭って仕事をしていた時、川北監督から電話があった。自分の頭もボーッとしてたが監督の声も弱々しかったのだろう、聞き取りにくかったが「体調が悪いので大阪には一人で行ってくれ。すまんね。」ということだった。

かくして、11月中に片付けるはずの3つの仕事がどれも終わらないまま大阪芸大に行った。同行した川北監督の会社のO君によると、監督は29日に入院したという。
そう聞いて今回はなぜか強く「病院に見舞いに行かなきゃ」という思いを抱いた。妻が言ったことも気になってたのかもしれないが。

しかし仕事が先述のような状況である。とにかく終わり次第、病院に行こうと思っていた。しかし一つは何度もリテイクがあったり、一つはそもそも量が膨大だったりで目処が立たない。そうこうするうちの12月8日、メール、フェイスブックのメッセージ、LINE、複数のルートから同じ知らせが届いた……。





川北監督!あなたはまだまだ必要な人だったのに!日本の特撮界にとっても、ゴジラにとっても、俺にとっても…!

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今の自分があるのは、漫画家の部分以外はほとんど川北監督のおかげと言ってもいい。漫画だって「ゴジラ狂時代」とか「グランセイザー」とか、特撮のキャリアあっての仕事も多い。

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川北さんは俺にとって、尊大な父であり、やんちゃな兄であり、頼れる上司であり、手強いクライアントであり、気のおけない仕事仲間だった。

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川北さんにもっと映像作品を撮って欲しかった。撮らせてあげて欲しかった。そしてもっと一緒に仕事がしたかった。

「超星神シリーズ」が10年続いていればとも思う。でも「Kawaii! ジェニー」だって傑作だった。川北さんとの仕事はいつも新鮮でワクワクするんだ。

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実現しなかった企画もいっぱいある。それらにも、プロット、デザイン、イメージボード、絵コンテ、ずいぶん描いた。商品用のイラストもいろいろ描いたけど、「ゴジラかまぼこ」が最後の仕事じゃ寂しいですよ監督。

そういえば、年賀状の絵もよく頼まれたなあ。これは去年描いた午年の絵。この時も仕事に追われてて時間がない中で描いたっけ。今年ももう年賀状のシーズンじゃないですか。来年は未年ですよ監督……
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posted by MASH at 13:37| Comment(3) | ゴジラ